はじめに
みなさんはじめまして。「まほろばサークル」です。
この会は「非常に障害の重い、重度・重複障害児や重症心身障害児」と呼ばれる子どもたちに対する指導方法やかかわり方を、質問や情報交換などを通して一緒に考える会です。
主として「ねたままの状態にある」とか「座位が保ちにくい」といった状態にある子どもたちを対象としています。
このホームページをご覧になっているみなさんは、重度・重複障害のある肢体不自由児と仕事や家族としてかかわりがあるものの、どのように接していったらよいか、あるいは、今のかかわり方がこれでよいのか悩んでいる方が多いと思います。
特に、はじめて障害が重度の子どもたちとかかわる方にとっては、戸惑いが大きいのではないかと察します。
しかしながら、例えば、子どもの障害が非常に重度だからといって、子どもたちの介助(食事、排泄、医療的ケアなど)に多くの時間や労力を費やしてばかりいないでしょうか?もちろん様々な介助は生命を維持するうえで必須です。
しかし、それだけでは、子どもたちの生きる力には結びつきません。たとえ障害が重度でも、子どもたちの生きる力を高めるためには、より成長や発達を促すためのかかわり方が重要なのです。
今一度、子どもたちとのかかわり方、すなわち、よりよい相互のコミュニケーションの在り方を考えなおしてみませんか?
このホームページにみなさんの疑問や悩みをぶつけていただければ、必ず解決の糸口が見えてくると確信しています。
なお、本会の協力者には、重度・重複障害児やその家族と接している大学や医師の先生方など様々な経歴の方もおられますので、幅広く様々な問題を解決するためのヒントとなる助言も受けることができます。
プロローグ
私は教員として、「ねたまま(ねたっきり)の状態にある、非常に障害の重い、重度・重複障害児」と呼ばれる子どもたちに長年かかわってきました。
その中で、教員のかかわり方や授業の進め方に疑問をもち、「子どもたちの成長発達のためには、もっとよりよい授業方法やかかわり方があるのではないか。」と考えるようになりました。
例えば、障害が非常に重度であるにもかかわらず、教員が言葉中心のかかわりをもち、その結果、子どもの理解や反応が少ないので、教員自身のペースで授業を進めている様子が気になりました。
また、個々の実態に応じた授業ではなく、「集団が大切だ。」と言って授業の流れを決めてしまい、子どものゆっくりとした様々な反応や応答を無視して、リーダーの教員の指示通りに授業をどんどん進めてしまうという現状を見て、これでよいのだろうかと疑問に思いました。
私は様々な研修や実践を積み重ねる中で、子どもたち一人一人の実態に応じてゆっくりとしたペースで教員とのやりとりを重視した授業が、たとえ障害が重度であっても、子どもたち自らかかわる相手や外界に働きかける自主性や自ら生きる力につながるのではないかという考えを抱くようになりました。
そのためには、当然、言葉だけで話しかけてもうまくコミュニケーションが取れません。
五感、特に視覚、聴覚、触覚を活用したかかわりが必要になります。
また、一律ではなく、その子どものペースに合わせ、ゆったりと時間をかけたかかわりが重要となります。
さらに、子どもの反応や応答をじっくりと待つという、こちらの心構えも大切です。
つまり、かかわる教員が指示したりどんどん授業を進めたりするよりも、今何をしようとしているのかを五感で知らせて説明したうえで、子どもに選ばせたり時間をとってじっくり考えさせたりすることが重要だと思いました。
「障害の重い子どもたちは何もできないので、かかわる方が何もかもしてやらなければいけない。」ではなく、子どもたちとノンバーバルなコミュニケーション(※1)をしながら、自ら外界やかかわり手に働きかけると周囲が変わるという経験の積み重ねが子どもたちの生きる力を養うことにつながると考えました。
このような基本的な方向性をもちながら、はじめて重度・重複障害児に接することになったみなさんに、積極的に子どもたちとの触れ合いを楽しんでもらいたいと思います。