川住先生を偲んで

川住先生を偲んで

2020年5月川住先生はお亡くなりになりました。もうすぐ一年が経とうとしています。

2020年4月のある日、先生が大学を退官されたこと、体調を崩し現在はリハビリ中との旨のお葉書を、ご子息よりいただきました。昨年(2019年)の特殊教育学会でお会いできると思っていたら、健康状態を理由に欠席されておられ、体調が安定していないことは窺っておりました。リハビリ中の一行を読んで、それが必要な状態にまで悪くなられていたことに驚きながらも、快方に向かうことを祈っておりました。しかし、このお葉書をいただいて間もなく、今度は突然の訃報連絡が入り、ただただ驚き、そして悲しい思いにくれました。

川住先生は、長きに渡り、障害状況が重く、他の障害と重複している子どもたち(重度重複障害)の教育について研究をされました。実際に子どもの生活の場や教育の場を訪ねてかかわりをもったり、保護者や施設指導員、ドクターの話を聴いたりしながら、その子たちの教育のあり方について、様々な視点で研究を重ねてこられました。障害のある子どもをはじめ、保護者の方々、子どもにかかわる医療、福祉、教育関係者は一応に、暗い海で船と陸地の位置関係や進むべき方向を照らす灯台を失ったような感覚を覚えているのではないでしょうか。

川住先生の数多くの研究は、重度重複障害のある子どもたちの教育を進めていく上で、とても示唆にとんでおり、子どもを見つめる視点、実践を展開する上での視点などをたくさん示してくださいました。筆者は、教育現場の人間で、川住先生の研究の功績をとても語り切れるものではありませんが、先生が示してくださった子どもと向き合うときの基本的な視点は、今後も臨床に関わる者の中で活かされる内容と思われますし、是非触れて欲しい内容の数々です。ここでは、あくまで筆者の私見でありますが、川住先生の研究について、その内容に少し触れ、先生が遺してくださったいくつかの内容を紹介してみたいと思います。

1.重度重複児のコミュニケーション・探索活動について

川住先生の研究には、コミュニケーションに関する内容が多くあります。目指しているコミュニケーションの姿は、子どもと大人(かかわり手)との双方向のやりとり、つまり互いに影響し合うことの上に成り立つコミュニケーションを目指しておりました。子どものコミュニケーションの能力を向上させるというよりは、コミュニケーションの関係を築きにくいことが、子どもたちが抱える障害状況であり、意思疎通が図れないことは子どもとかかわり手双方の抱える課題と位置づけていました。その課題解決に向けては、かかわり手のあり方を検討し、関係の形成を目指していくことに主眼を置いていました。

そのことを前提とした上で、重度重複児に対するコミュニケーションを促進していくことの意義については、研修会や各種の講義の中で次のように示しておられました。

「コミュニケーション関係を基盤としながら
 (1)種々の活動を促進
 (2)他の活動へのスムーズな行動変換
 (3)不活発な状態や混乱した状態からの回復
 (4)意思発現を土台にした自立・自律
これらの様相を期待することができます。」

「(1)は、やりとりを通して、種々の感覚刺激を適切に受け止めることや、感じたことを運動として表すことなどを、かかわり手がガイダンスすることで、やりとりが心地よい活動となり、周囲に気持ちを向けていくことにつながっていきます。

(2)は、かかわり手が子どものペースに合わせたやりとりを試みることは、場面の切り替わりによる驚きや混乱を軽減するなど、身構えや心の準備をもたらし、例えば発作や呼吸状態の乱れなどを緩和することにもつながります。

(3)は、かかわり手が、子どもの感覚ニーズを踏まえやりとりを促していくことは、例えば、覚醒状態が維持しにくい状態や、感情をコントロールしにくい状態からの回復が期待できます。

(4)は、やりとりにおいて意思発現することが、精神的な自立や自己調整につながっていきます。コミュニケーションの促進は、障害が重い子どもの教育的対応を見いだすことにつながるので、様々な活動を考え発展させていく基盤になります。」と述べていました。

重度重複障害がある子どもの障害状況として、言葉がないことや表現が微細であること、また健康面や疾患の上で気にかけなければいけない状態像などは、コミュニケーションの糸口を見えにくくしていることが多いです。子どもの様子をどのように見て、どのように解釈していくのか、川住先生自身が、教育相談の場で子どもと向き合い、かかわりをもった事例研究の数々は、教育的対応の基本的視点を示してくれています。

  • 「車椅子を利用した重症心身障害児の外界探索への援助について」(1985) 重症心身障害研究会誌10

川住先生の研究実践では、探索活動の支援を主題としているものや、事例研究の活動経過でも取り上げられているものは、たくさんあります。かかわり手が子どもの小さな表れに指向性を読み取ろうとする(例えば、目の動きを観察しながら、視線の方向に沿って車椅子を押してすすむなど)中で、子どもが支援を積極的に受け入れたり、周囲の様子を自ら把握しようと活発になったりする様子に注目されていました。障害が重い子どもに探索活動を支援していくことは、子ども自身が過ごす生活世界に自ら関心を持ち理解していくことに加えて、コミュニケーション行動を促進する上でも有効であることを述べています。本論文では、施設で生活する重度重複児の「車椅子移動」の支援の中で探索活動を促進した取組を取り上げ、探索活動の教育的対応としての有効性を述べています。

  • 「視覚障害を有する重複障害幼児の見ることに関する行動の拡がりについて」(1993) 心身障害児の感覚・運動機能の改善及び向上に関する研究 国立特殊教育総合研究所特別研究

かかわり当初は、光の方向に顔を向けるくらいの視覚的な反応を示していた事例児との4年に及ぶ教育相談場面のかかわりから、コミュニケーションや見ることの行動変化、そこでの基本方針と展開経過(視覚系活動の拡がり)をまとめています。コミュニケーション関係を深めていくにあたっては、母親からの情報を参考にしながら、新たなかかわりを通してさらに母子間のコミュニケーションを発展させられるようにという教育相談の姿勢と、生活で見られる視覚系活動の手がかりを丁寧に拾い、子ども自身が見る必要性が生じるようなやりとりの展開経過には示唆を得るところが多い論文です。

  • 片耳の難聴を指摘されている重複障害児の「音との係わり」と「人との係わり」(1997) 重度重複障害児の事例研究(第21集)―音との係わりに視点をおいて― 特殊教育総合研究所重複障害教育研究部(編)

重度重複障害児の場合、運動障害や知的障害に加え、少なからず何らかの感覚障害を抱えていることが多くあります。ここで取り上げている事例児は、片耳の難聴を指摘されておりました。聴こえる側の耳で、好きな音楽を聴こうとプレーヤーに耳を当てたり、それらに自ら接近したりはするのですが、人への接近や視線を合わせるなどの様子が少なく、関心の拡がりをいかに広げていけばいいのかを考える必要がありました。そのために、子ども自身が心地よいと感じる「音の世界」を探りながら、「音との係わり」を促していくこと、また人とともに聴くあり方を探ることで、やりとりの拡がりをについて検討されています。「音の世界」は、固定的ではなく変化していくということや、この年齢にはこのような音楽という固定観念を外し提供することの重要性を示唆するとともに、聴くという行為を表現と捉えてやりとりを試みることの重要性を述べています。その上で、音との係わりから人との係わりを援助していくことの視点をまとめています。

  • 「コミュニケーションの意欲と伝達手段の向上を目指した重複障害児に対する教育支援の経過」(2000) 国立特殊教育総合研究所研究紀要 第27巻

周囲の状況を理解する力があるものの、筋緊張が強く、自ら周囲に働きかけることが少ない、受け身の状態にある重度重複肢体不自由児のコミュニケーション支援について、長期にわたる教育相談での取組から整理し、コミュニケーションの意欲と伝達手段の向上についてまとめたものです。話しかけられる内容や周囲の状況を理解していることが多い事例児は、自分の思いを伝えられないことから発熱や嘔吐、拒食、咳き込みなどのストレス症状を示していました。幼児期からの経過ですので、事例児の思いを表現するための活動内容はライフステージに合わせて展開しています。「ぼくの思いが伝わった」という実感をもてるかかわりをどのように構築し「伝えることができた」内容の共有をいかにわかりやすく具体化するか、その際の視点を示しています。筆者は長期研修生の時に、本事例児の教育相談場面に何度か立ち会わせていただき、実際にかかわりの様子を見せていただきました。かかわり合った痕跡を絵や文字に残すことの意義を見聞きすることができ印象深い論文です。

2.障害が重い子どもの実態の理解及び調査研究

国立特殊教育研究所重複障害教育研究室において企画・実施された研究の中には、生命活動の脆弱な重度重複障害児の教育的対応に関する内容があり、川住先生もそれらのプロジェクトに参加し、時には中心となり研究を進めてこられたものがたくさんあります。 てんかんを伴う重度重複児の教育的対応や、呼吸障害がある重複児の教育的対応、健康面に課題の多い重複障害児の教育環境の整備、教育的な対応などについて調査研究や、実践的考察を実施していました。事例を挙げながら課題を示し、現場が整備すべき問題点を整理しています。

  • 病弱な重度・重複障害児に対する教育的係わりと呼吸状態の関連について ―パルスオキシメーターによる酸素飽和度の測定を通して― 松田直・川住隆一(1995) 国立特殊教育研究所研究紀要 第22巻

今では呼吸状態の把握に当たり前のように使われているパルスオキシメーターですが、特殊教育総合研究所は早くからこれを用いて研究を重ね、重度重複児の睡眠時、姿勢変換時、食事や水分摂取時などの呼吸に注目し、その問題を提起していました。また、学習活動時における測定を試み、特に超重症児の教育活動時の指標を見いだす可能性を考察されていました。

  • 生命活動の脆弱な重度・重複障害児への教育的対応について ―死亡事例調査を通しての検討― 川住隆一・松田直・久田信行・平井保・落合俊郎・大坪明徳(1989) 国立特殊教育研究所研究紀要 第16巻

生命活動が脆弱な重度・重複障害児の教育活動に必要な条件の吟味には、今もなお多くの課題があります。国立特殊教育研究所重複障害研究室は、その課題を解決していく糸口を見つけるべく、全国の養護学校や近隣の養護学校などへアンケート調査や、情報提供を求め、研究成果をまとめています。この研究の趣旨は、教育的対応についての必要な事柄を、目の前の子どもたちを通しての実践的吟味とともに、死亡事例について残された資料から詳しく探ることを通して、これまで気づかれなかったことや、改めて気づかされることを明らかにすることでした。その後、子どもたちの取り巻く医療的な環境や条件は大きく変わってきましたが、それでもここで示された内容は現在にも通じる事柄や視点ばかりで、事例で追いかけていることでわかりやすく、今一度踏まえておきたい内容がたくさん示されています。

3.超重症児の教育活動についての示唆

東北大学に赴任された川住先生は、寝たきりの状態で知的発達の程度が最重度であることに加え、常に人工呼吸器等の手厚い医療サポートを要する超重症児と呼ばれる子どもたちの教育の研究を進められました。
川住先生は、超重症児の教育の困難さは、「指導やかかわりの糸口が乏しいことに加え、健康上の理由により活動の時間と空間もまた非常に限られていることにある。」として、「その中で生命を維持している子どもたちへの教育的アプローチを行う者は、大きな制約の中で何ができるのか考えていかなければいけないという大きな教育課題が生じている」と問題点を指摘しています。さらに、「この子どもたちが、いかななる精神世界にいるのか、あるいは我々がどのような応答的環境を整えれば、交流することが可能になるのかという問いへの答えはほとんど解明されていない」ことから、この子どもたちの研究を重ねていくことの必要性を述べています。これまでの実践報告は、微細な子どもの様子を解釈し記述した内容が多く、変化の根拠となる長期的なデータが十分に示されておらず、前述の問いの答えにはとても到達できないことを指摘。長期にわたる客観的観察データを踏まえて子どもの生きている姿を描き出すことにつながる研究に取り組みました。

  • 超重症児における動きの発現とその生命活動上の意義に関する臨床的研究(2007) 川住隆一・岡澤慎一。中村保和・笹原未来・佐藤彩子 研究成果報告書 東北大学

かかわり当初は、全く動きが見られない、あるいは極小運動のみしか観察されなかった3事例と長期にわたりかかわりをもち、その中での行動の変容について、かかわりの展開経過を明らかにして、それらの方略について様々な分析を行い、行動発現の意味や条件、解釈のあり方について検討をしています。様々な働きかけを継続して行う中で、発現を確認できた微細な運動、それは一見、反射や不随意な動きとして相互交渉としては捉えられないような運動であっても、長期にわたり丁寧に観察をしていくと変化を追うことができます。その変化をどのように捉え、意味を見いだすかについての吟味は必要であり、事例を通して示唆しています。川住先生は常々「学校教員の視点は刹那的だ」と話されていました。学校生活における子どもとのかかわりは、1年単位で担当が替わることが多く、その範囲でのみ子どもを見ている現状に対して、障害の重い子どもたちの変化は、そのような時間軸で考えてはいけないと話されていたことを思い出します。また、筆者の実践に対して「再現性」の問題をよく指摘していただきました。その意味もこの報告書が伝えてくれているように思います。

  • 訪問教育対象児童生徒の学習環境関する研究(2020) 川住隆一・野崎義和 研究成果報告書 東北福祉大学

古くから最重度な重複障害児の教育について考えてきた川住先生は、学校に通うことができない子どもたちの教育である訪問教育について、全国調査を行いその実状を明らかにし情報発信してきました。学習指導要領の中で、「通学が困難な児童生徒に対して教育を行う場合、障害の状態や学習環境に応じて、指導方法や指導体制を工夫し、学習活動が効果的に行われるようにすること」とありましたが、川住先生は、訪問教育対象の子どもたちは、どのような学習環境でどのように指導が行われているのかの実態は不明であること、従って指導方法や指導体制の工夫すべき事柄が明確でないことを指摘した上で、再び全国にアンケート調査を実施しました。通学困難な児童生徒の指導方法や体制の工夫について、今後検討する材料を整理して示しました。この研究が川住先生にとって生涯最後の研究となりました。訪問教育にかかわる人たちで、後を継いで研究を継続し、子どもたちの学習環境の充実を目指していきたいものです。

おわりに

川住先生は、障害が重い人たち、声なき者の声に耳を傾け研究することの意義について、「一つは、何よりもその方々のために役立つことをすることだと思います。二つ目はいくら障害が重くてもその人が生きていくことをサポートする、一人一人を大切にする社会を作っていくこと、そしてもう一つは、そういう文化を建設していくことになると思います。」と述べていました。胸に刻んでおきたいと思います。
ここで取り上げた研究の概要解説については、指摘を受ける表現があるかもしれませんが、あくまで筆者の私見でありますのでご容赦ください。川住先生の研究には、他にもたくさんの素晴らしい研究論文、報告書があります。また、書籍としては、風間書房「生命活動の脆弱な重度重複障害児への教育的対応に関する実践的研究」や、明石書店「障がいの重い子どもと係わり合う教育―実践から読みとく特別支援教育ⅠⅡ」の中で読むことができます。前述しましたが、川住先生が示して下さった研究内容は、障害の重い子どもとの教育活動やコミュニケーションなどを考えていく上で、今後も多くの手がかりを与えてくれものと思います。是非ご一読いただければと思うばかりです。

(まほろばサークル協力者 特別支援学校教員  中村 靖史)

~乳幼児期に大切なこと~

~乳幼児期に大切なこと~

障がいの早期発見・早期療育は、日本でも普及しています。乳幼児健診や病院での早期診断に続いて、運動機能については理学療法士や作業療法士による訓練が、視覚や聴覚については視能訓練士や言語聴覚士、特別支援学校(視覚・聴覚)の教員による訓練・指導が行われています。また、保育士を中心として、小集団での指導が定期的に行われる場や、障がいの重い子どもを受け入れている保育所も少なくありません。

私は、1975年に国立特殊教育総合研究所に就職して以来、乳幼児期からの教育相談を継続する機会に恵まれました。また、肢体不自由児通園施設での保育や、知的障がいのある子どもの保育を垣間見る機会がありました。最近は、みなと舎のかかわり相談で、高等部を卒業して何年も経過している人の種々の問題に出会います。

私の経験は限られたものですが、最近考え始めているのは、日本の早期療育の中には、大きく改めるべき点があるのではないかということです。障がいの重い子どもの状態が少しでも良い状態に早くなってほしいと親御さんが願うのは当然ですが、訓練や指導に携わるスタッフが、有効だと言われている訓練法やこれまで続けてきた指導内容に頼りすぎている感じがあります。その結果、障がいの重い子どもから見ると、「分かりにくい状況で、一方的に体を動かされたり、何かをやらされたりする」ことが多くなるように見受けられます。このことは、一人一人の子どもの自律性を育てることにはつながらないのではないでしょうか。

このように、子どもが自ら少しでも動いて、その結果として生じる感覚(触覚・視覚・聴覚・味覚・嗅覚・体性感覚)を受け止めることが、能動性や自律性の基礎を創っていくことにつながると考えられます。

つまり、障がいの重い子どもに対して、「大人が刺激を与えて、何かが分かるようにする/できるようにする」ことも一方では必要なことですが、それ以上に大切なことは、子どもが使える感覚運動系を用いて探索活動を少しずつ展開し、それを周りの大人が支えることだと思います。後者に軸足を置いたかかわりが乳幼児期に行われれば、周囲に対して感覚を閉ざしたり、人とのかかわりに対して拒否的になったりすることはかなり避けられるのではないでしょうか。早期療育において、「健康作り」と「探索活動」が主要なキーワードになることを願っています。

(まほろばサークル協力者 松田直 元群馬大学教授・高崎健康福祉大学教授)

訪問教育を通して感じたこと

訪問教育を通して感じたこと

私は特別支援教育の教員を28年続けてきました。
この間に多くの子どもたちと出会い、そのほとんどは学校という場において学校生活を過ごしてきましたが、7年前より訪問教育を担当することになりました。

訪問教育とは、障害の状態が重度で高度の医療的ケアが必要とし、学校に通学することが著しく困難な子どもたちに対して、教員がその家庭や施設・病院などを訪問し教育活動を行うという教育の形態を言います。
家庭に訪問する場合を在宅訪問、施設や病院を訪問する場合を施設病院訪問と呼ばれています。
私は在宅訪問を担当しており、子どもたちの生活の場に出向き教育を行っています。
ここでは、訪問教育を通して見えてきたこと、改めて考えさせられたことなどを述べてみたいと思います。

家庭で教育を行うということは、暮らしの中に入っていくということであり、まず、子どもに関係するすべてにおいて、その家庭の様式や方法を尊重する必要があります。
子どもの医療的ケアはもちろんのこと、すべての介助は保護者が中心であり、教育的にかかわらせてもらう場合は、保護者にこちらの意向を伝え、方法も含めて相談することが必要になる場面がたくさんあります。

例えば、人工呼吸器を使用している子どもたちの場合、姿勢変換や座位保持椅子や車椅子への移乗は簡単なことではありません。
呼吸器には回路という管が付いていてベットで収まるようにそのご家庭なりの工夫がされていることも多くあります。
子どもと「抱っこしながらかかわりたい」、「座位保持椅子に座らせて視線の高さを合わせたい」など、授業の中で姿勢変換をして内容を展開しようと考えることは多くありますが、実際に抱っこや移乗をする際には回路の動かし方をはじめ、その子どもの体の状態のチェックなど、保護者の指示を仰がないと危険なことはたくさんあります。

保護者が気をつけている体の触れ方・動かし方・手順などは、子どもの状態にとって大変理にかなっています。
抱っこや姿勢変換において、保護者の観点を共有させてもらうことがとても重要になります。学校において、姿勢変換したり、車椅子への移乗したりするなど、子どもの体に触れる場合は、たくさんの子どもがいるので、何をするにしてもたくさんのモデルがありますし、相談できる教員がいます。
学校には子どもを見つめる複数の目があることの安心感のもと、大胆な働きかけができる面があります。
私はそのような環境を自然のことととらえていたことに気づかされました。
そのことと同時に、今まで自分は学校において姿勢変換ひとつをとっても訪問教育の場のように、保護者との間で、また教員間において、丁寧な観点の共有ができていたかを反省させられる思いでした。

また、体調面が変動しやすい子どもも多いため、教員が「今日は座位保持に座って素材遊びをしよう」と考えていても「今日は状態が良くないのでベットでお願いします」と言われることもあり、こちらの意向とは違うことを急遽行わなければいけない場面なども多くあります。学校には時間割がありますが、例えば、緊張が強くて機嫌が悪かったり、小さなてんかん発作が頻発していたりするなど、その子どもの普通の状態と違う場合に個別の対応を行う場面はあります。
その場合は子どもを安静にして様子を見るか、それほどではないならばとりあえず同じ授業を続けながら様子を見るような対応が多いように思われます。
訪問教育では、かなり体調が悪い時は欠席になりますが、それ以外ならば、保護者が見守る中で、授業内容を変えてかかわることがしばしば起こります。
一つの内容のみで授業に臨んでしまうと、子どもの調子が悪くその活動ができなくなってしまったときに、その時間は様子の見守りだけで終わってしまいます。
学校では次の時間、午後からの時間に復調し何かに取り組める機会がありますが、訪問教育には、授業は週3回で1回の授業が2時間までという制約があるので、「今、この時間」がとても重要になります。
子どもがいつもと違う状態になることも常に想定して、その時間にできることを考え形にすることが重要で、その準備と柔軟な姿勢が問われることに気づきました。

次に、訪問教育においては、保護者が隣にいる状況で授業を行います。
いうなれば毎回の授業が授業参観の状態です。保護者はとても興味深く授業を見て、時に一緒に参加されることも多くあります。
ところが、私たちが行う内容やかかわり方が、保護者にとって時には分かりにくく見える場面もあるので、そのような場合には、今、行っていることの意味を丁寧に説明する必要があります。
例えば、学校の様々な学習場面において、子どもに何らかの働きかけをした後、子どもからの応答が表れるのをしっかりと待つ場面があります。
これは、子どもに人と応答する力やかかわる力を引き出していくために、かかわり手である教員が微細な表れを見逃さないようにあるいは邪魔しないように余計なかかわりを排除しているかかわりで、非日常的な設定の中でその力を引き出そうとしています。
しかし、訪問教育は、家庭という子どもにとって日常的な空間の中で行われるかかわりですので、教員がなぜじっと様子を見ているのか、子どもに何を求めているのかを丁寧に説明する必要があります。
また、学習内容も日常空間には見られない教材を持ち込むことも多くありますが、それらを使った活動が、非日常的で単に楽しいばかりでなく、日常の暮らしにどう繋がっていくかを説明する必要があります。
そのようなことを学校では、学期はじめに個別の指導計画や学習予定表を配布したり、途中に授業参観をはさんで学期終わりの懇談会で様子を説明したりして伝えてきました。
訪問教育を経験して、丁寧に伝え、目の前で見てもらうことを重ねていくと、学習活動としての意図をくみ取ってもらえることを実感しています。
今まで学校で学習のねらいなどの伝え方は、いかに暮らしという視点の弱い独りよがりな伝え方になっていたか、振り返り反省してばかりいます。

そして、保護者と子どものコミュニケーションについては、学ばされることがたくさんありました。
訪問教育の子どもたちは、非常に重度な障害状況で、周囲の変化を感じ取ったり、感じたことを表したりする力がとても弱い子どもたちではありますが、どのご家庭においても保護者は、とても普通に話しかけ、子どもの小さな動きや変化(例えば、眉が微細に動く、呼気が見られる、手指がかすかに動くなど)をとらえやりとりを行っています。
子どもの身の回りの介助やケアの時だけでなく、暮らしの様々な場面で自然と話しかけています。
そして子どもの小さな動きや変化を見つめ、話かけに対する応答の行動ととらえ意味づけを行い、家庭の中の一員として位置づけておられます。

訪問教育の子どもたちは、そんな家族の丁寧なかかわりや愛情を受け、優しい言葉の中で育っていることが多く、障害の状況はとても重度であっても、家族の言葉を感じ取りながら家庭の様子を子どもたちなりにとらえていることがあります。
ひとりひとりの子どもに、このことを裏付けるようなたくさんのエピソードが存在します。
それぞれのエピソードを保護者から聞かせてもらい、授業の中で実際に目の当たりにしたり、感じさせてもらえたりすると、その子どもの成長について多くの可能性を感じます。
今まで、学校の中で重度な子どもたちとかかわっていたときには、理解できなかったり、一見意味がなさそうに思えたりして、見過ごし解釈しなかった行動がありました。

しかし、それらの行動も家庭の暮らしの中で見てみると、何らかの意味のある動きになっているものも多いのではないかと改めて思いました。
現在の私はそのような家庭での親子のやりとりを見聞きさせてもらい、それらをベースにしながら、子どもとのやりとりを深めていくことを試みています。
そのことで、また新たなやりとりの展開が見えてくることもあります。
子どもが家族とともに培ってきたコミュニケーションの裾野が広がるようなかかわりを心がけていきたいと思うばかりです。

訪問教育は、ひとりひとりの子どもたちのご家庭の暮らしの中に入るということでもありますので、学校での教育活動に比べて制約が多いことばかりが注目されがちですが、暮らしの中の子どもたちから教育を考えることができ、保護者と共に子どもに必要なことを考えていくことができます。
学校という枠組みの中だけでは見えてこないこともたくさんあるように思います。
学校の教員はなかなか設定されている家庭訪問期間以外に家庭を訪問する機会はないかもしれませんが、可能ならば家庭を訪問し暮らしにかかわる様々な様子、エピソードを見聞きせてもらうことは、子どもの教育活動を考えていく上でとても重要なことと思います。

(まほろばサークル運営メンバー)

病院施設内訪問教育の思い出

病院施設内訪問教育の思い出

私は20歳代後半で、病院施設内訪問教育を経験しました。
これからお話するのは、30数年前の当時の病院施設内訪問教育の回想です。

重度重複障害児(重症心身障害児)に対して訪問教育が開始されたのは、昭和54年の養護学校義務制からでした。
当時の対象児は、小学部・中学部の年齢に当たる子どもたちでした。
病院に設置された重症心身障害児施設に入所している子どもたちを対象とする訪問教育と、様々な理由で通学が困難なために在宅となっている重度重複障害児に対する訪問教育の2つの形態が主でした。

私は、その内の病院施設内訪問教育を担当しました。
当時の病院施設内訪問教育担当者は退職した校長先生方が多く、話を聞いていると、教育に対して立派な考えをもっておられる先生方がほとんどでした。
小学校の校長で退職された先生方が多かったのですが、障害児教育の経験は浅く、まして重症心身障害児との対応は初めての方ばかりでしたが、対応は大変ていねいで、まるで我が子や孫と接しているようでした。

その先生方が養護学校義務制以降の数年でやめられた後、私は希望して訪問教育を担当することになりました。
私は、新任の時に喘息・腎炎・肝炎・結核などの慢性疾患児を担当し、その後筋ジストロフィー症児を担当しました。
様々な障害や病気のある子どもたちと接したい気持ちが強かったので、重症心身障害児の子どもたちと接することができるようになって大変うれしく思いました。
慢性疾患児では「学年相応の教科教育」、筋ジストロフィー症児では「肢体不自由教育」や「知的障害児の教科教育」、そして重度重複障害児では「すべての教科に変えて養護・訓練を中心とした教育」と、指導内容や指導方法がかなり違う教育を経験できました。

どのような教育内容が子どもたちの実態に合っているか、教育実践を通してよりよい方向性を考えるのを楽しみにしていましたが、現実はそれ以前の大きな課題が待ち受けていました。
それは病院内の病棟職員の方々との接し方でした。

私が訪問教育を担当するようになった4月から、病棟に隣接して教育実践をするためのプレハブ仕様の教室ができました。
ところがその教室に学齢児を連れて行くことに対して、病棟職員の方々はあまりよい顔をしませんでした。
特に一部の看護師さんや看護助手さんは、「なぜ一人しか教室に連れて行かないの?みんな連れて行ってくれればいいのに・・・。」と不満を漏らされました。
昼食指導では「先生方はいいね。一人しか昼食を食べさせないでいいのだから。私らは何人も、しかも時間内にどんどん食べさせないと全員終わらないんだから。」と愚痴を漏らされました。
もちろん訪問教育に理解を示してくれる病棟職員の方もおられましたが、それは一部の方でした。
特に私は、訪問教育担当教員の主任(窓口)をしていましたので、「午前中病棟で入浴があるときは、教室に子どもを連れて行かないで、これまでどおり入浴介助に入ってください。」「病棟内のプレイルームに多くの子どもたちがいるので、これまでどおり病棟内のプレイルームで勉強する時間を設けてください。」「これまでの退職校長さんの方が、学齢に関係なく集団でみんなをまとめて面倒見てくれていてよかったのに・・・。」などと、何度も直接愚痴を言われました。

今お話ししたのは、病院内訪問教育創設期の現状でした。
当時は、「子ども一人あたり週2回、1回あたり2時間程度」という県の方針に従って、担当を決め教育を実施しようとしたのですが、教育内容を充実する以前に、教室ができて病棟職員の方々との新たな連携をどうするのか、ということが大きな課題になりました。

結果は、病棟側のこれまでの意向をある程度酌み取りながら、新たにできた教室内で授業をしていくことになりました。
私が主任として担当した数年間では、病院内訪問教育の在り方を十分理解してもらったとは言えませんでした。
やはり病棟関係者のみなさんにとっては、「部外者」が自分たちの仕事場である病棟に入り込んでくるのに、教室ができたために、これまでと違った非協力的な対応になったと感じ取られたのでしょう。

このように当時は、雇用立場や業務内容などが違う者が同じ現場で仕事を進めていくことの難しさを痛感する時期でした。
今は、お互いの立場の違いを理解し、尊重しながら協力体制を築きあげたうえで、さらに教員の視点でみると、教育内容の充実に努めていると信じています。

さて、教育の内容についてですが、教室ができてからは、集団で多くの子どもたちを一堂に見る形態から、子どもとほぼ一対一の授業ができる場面が多くなりました。
つまり、子ども一人一人の細かな実態把握やそれに基ずく目標設定がしやすくなったのです。
授業も子どものペースに合わすことができ、子どもからの反応やそれに対するやりとりも、ゆっくり時間をかけてみることが可能となりました。
私にとっては、養護・訓練(今は自立活動)を主とした指導の基本である「実態把握→個人目標の設定→教材の選定→授業実践→評価」のスタートだったとふり返っています。

最後になってしまいましたが、30数年前の当時、私たち施設内訪問教育の立場に共感していただいた一部の病院・病棟関係者のみなさんには、深く厚く感謝申しあげたいと思います。

(まほろばサークル 上村 勇一郎)

[参考]
訪問教育は、昭和43年から44年にかけて、いくつかの県・市において就学猶予・免除者に対する「訪問指導」として開始されました。
昭和53年には文部省から「訪問教育の概要(試案)」が発表され、訪問教育の趣旨、法的根拠、対象、教育課程等が示されました。
その後、昭和54年4月からの養護学校教育義務制の実施と同時に、各都道府県において、対象となる児童生徒の障害の状態とそれぞれのおかれている教育環境を考慮しながら、小学部・中学部の児童生徒で通学が困難な者等について、訪問教育が実施されるようになりました。
つまり、これまで学校教育の対象とされなかった重度重複障害児(重症心身障害児)に教育の機会を与え、すべての学齢児に対して義務教育を行うようになったのです。

高等部における訪問教育については、文部省から平成9年度より「現行制度の枠内での試行的実施を行うことができる」との通知が出され、32都道府県で試行的に実施され、平成10年度からは残る15県も含め全都道府県で実施されました。

~障がいの重い人が地域で生き続けることについて~

障がいの重い人が地域で生き続けることについて

子どもの気持ち

国立特殊教育総合研究所(横須賀市野比)の教育相談で出会った一人の保護者が、「18歳までは学校に通えるが、その後はどうなるのだろうか?」という心配を、早い時期から他の保護者とも話されていました。

私は学生時代から知的障害児施設や重症心身障害児施設という入所施設に出入りさせていただき、そこでの生活の様子を直接見てきましたが、「どの人も、もう少し違う生活ができるのではないか」と感じていました。

上記の保護者を中心として、養護学校高等部卒業後の1993年に「コミュニケーションルームこどものへや」を開設しました。これは、横須賀市の「障害者地域作業所」の制度に基づくものでした。補助金をもとに一軒家を借りて、6名の青年が日中活動を行う場を作りました。メンバー一人一人の意思を大切にして日中活動を展開するには、1対1でスタッフが係わることが必要でしたので、これを原則としました。しかし、年間780万円くらいの補助金でこれを運営することは到底不可能なことです。保護者は、法律に基づいた社会福祉法人を設立し、正規の通所施設を作るために奔走しました。

1997年に社会福祉法人みなと舎ができ、通所施設「ゆう」がスタートしました。ここでもメンバーとスタッフの比率は1対1が原則です。その後事業を拡大し、相談事業、ショートステイ、ケアホーム、さらには2014年に医療型障害児者入所施設も作りました。これで重い障がいがあっても地域で生き続けることが一応可能になりました。しかし、一人一人の日々の生活内容を充実させるためには、まだまだ取り組むべきことがたくさんあるように感じています。

みなと舎や横浜の社会福祉法人「訪問の家」(通所施設「朋」)を見学された群馬の保護者が、群馬でも地域生活を続けられるような通所施設を作りたいと考えられ、2006年に社会福祉法人「あい」を前橋で立ち上げました。

横須賀でも群馬でも私は保護者の意向を受け止めながら、できる限りの支援を続けてきましたが、日本はまだまだ保護者への負担が大きく、社会全体で考えて対応するという点では発展途上国であると思っています。「共生社会」という言葉は流通していますが、現実の社会はまだまだ障がい児・者に対する偏見や差別に満ちています。一歩ずつ、着実に現状の変革を実現していきたいものです。

(まほろばサークル協力者 松田直 元群馬大学教授・高崎健康福祉大学教授)

~自己紹介を兼ねて~

~自己紹介を兼ねて~

私は、1975年5月から1995年3月まで、神奈川県横須賀市にある国立特殊教育総合研究所の重複障害教育研究部に勤務していました。この研究所は、現在は独立行政法人国立特別支援教育総合研究所になっており、組織も機能もかなり当時とは変わってきています。私は、研究所では、障がいの重い子どもの教育相談や実践研究、現職教員の研修などに携わっていました。また、障がいの重い子どもが学校教育終了後に通える場所「コミュニケーションルームこどものへや」を創る保護者の活動にもかかわりました。

上村勇一郎先生は、1年間の長期研修のために研究所に来られた現職教員の一人です。研修中は、全盲で肢体不自由・知的障がいともに重度のHさん(小学部2年生)に定期的にかかわられました。東京にある肢体不自由児通園施設の外来、Hさんが通う養護学校、そして家庭の3箇所を訪問してHさんにかかわられました。

私は、1995年4月からは群馬大学教育学部の障害児教育講座に移り、教員養成と実践研究に携わりました。また、社会福祉法人あいの立ち上げと運営にもかかわりました。群馬大学定年退職後の2011年4月からは高崎健康福祉大学に移り、短期大学部児童福祉学科を4年制の人間発達学部子ども教育学科に改組することにかかわりました。人間発達学部では、教員の養成と実践研究そして学部の運営に携わりました。2015年に学生サークル「キッズサポートひまわり」(障がいのある幼児、児童、生徒を対象に、遊びを中心にした活動を定期的に行う)が発足し、保護者の相談は私が担当しました。その他、特別支援学校の研修会や肢体不自由児通園施設の研修会などにもかかわりました。

2019年3月に高崎健康福祉大学を退職し、4月に神奈川県三浦市に戻りました。7月からは社会福祉法人みなと舎のボランティアを始め、2020年9月からは「かかわり相談」に携わっています。

(まほろばサークル協力者 松田直 元群馬大学教授・高崎健康福祉大学教授)

花や野菜、観葉植物を育てる

花や野菜、観葉植物を育てる

植物を育てる

皆さんは植物を育てるのは好きですか?

私は育てるのが好きなのですが、
「難しいなぁ」と思うことがよくあります。

例えば野菜を例にとってみると・・・

放置しておくと必ず枯れますので、当然水や肥料をあげて世話をします。
でもそのタイミングが難しいのです。

動物、例えば犬ならば吠えることによって「おなかが減った」「水がほしい」など、
分かりやすく飼い主に訴えてきます。

しかし植物は何も言わない(言えない?)のです。

そこで枯れないように、こちらが判断して灌水などするのですが、
やり過ぎても根腐れをおこして枯れてしまいます。

野菜によって水の量や回数が違い、またそのときの気温や日当たり具合によっても変わってきます。

ときには害虫が発生したり病気になって枯れたりすることもあります。

どう対応してよいか分からないときは、
育て方の本を読んだり育て方に精通している人に聞いたりしますが、
それでもうまくいかないときもあります。

いかに野菜の状態をとらえて、的確に判断し対応するか?

つまり、野菜の気持ちを読み取る力が求められているのです。
まるで母親が赤ちゃんを育てるのと同じように「深い愛情」が必要なのです。

雑草のように完全に自然界で生きている植物と違って、我々が育てなければいけません。

その代わり、野菜の気持ちや願いに十分応えられたら、立派な葉や実を見せてくれ、
まるでありがとうとお礼を言っているように思えます。

これが収穫なのです。

教育も同じではないでしょうか?

言葉でやりとりができるときは、受け答えでお互いに意思の疎通がはかれます。

障害が重度のために言葉としてはしゃべったり理解できなかったりする場合でも、
こちらが一方的に判断しないで、相手を理解するかかわりが大切なのです。

しっかり子どもを見て、触れて、それでも判断しにくいときは、
このホームページの内容を参考にしながら子どもとかかわってみましょう。

このホームページが子どもたちの成長のために、かかわり手のヒントとなることを願います。

(まほろばサークル 上村 勇一郎)