~障がいの重い人が地域で生き続けることについて~

障がいの重い人が地域で生き続けることについて

子どもの気持ち

国立特殊教育総合研究所(横須賀市野比)の教育相談で出会った一人の保護者が、「18歳までは学校に通えるが、その後はどうなるのだろうか?」という心配を、早い時期から他の保護者とも話されていました。

私は学生時代から知的障害児施設や重症心身障害児施設という入所施設に出入りさせていただき、そこでの生活の様子を直接見てきましたが、「どの人も、もう少し違う生活ができるのではないか」と感じていました。

上記の保護者を中心として、養護学校高等部卒業後の1993年に「コミュニケーションルームこどものへや」を開設しました。これは、横須賀市の「障害者地域作業所」の制度に基づくものでした。補助金をもとに一軒家を借りて、6名の青年が日中活動を行う場を作りました。メンバー一人一人の意思を大切にして日中活動を展開するには、1対1でスタッフが係わることが必要でしたので、これを原則としました。しかし、年間780万円くらいの補助金でこれを運営することは到底不可能なことです。保護者は、法律に基づいた社会福祉法人を設立し、正規の通所施設を作るために奔走しました。

1997年に社会福祉法人みなと舎ができ、通所施設「ゆう」がスタートしました。ここでもメンバーとスタッフの比率は1対1が原則です。その後事業を拡大し、相談事業、ショートステイ、ケアホーム、さらには2014年に医療型障害児者入所施設も作りました。これで重い障がいがあっても地域で生き続けることが一応可能になりました。しかし、一人一人の日々の生活内容を充実させるためには、まだまだ取り組むべきことがたくさんあるように感じています。

みなと舎や横浜の社会福祉法人「訪問の家」(通所施設「朋」)を見学された群馬の保護者が、群馬でも地域生活を続けられるような通所施設を作りたいと考えられ、2006年に社会福祉法人「あい」を前橋で立ち上げました。

横須賀でも群馬でも私は保護者の意向を受け止めながら、できる限りの支援を続けてきましたが、日本はまだまだ保護者への負担が大きく、社会全体で考えて対応するという点では発展途上国であると思っています。「共生社会」という言葉は流通していますが、現実の社会はまだまだ障がい児・者に対する偏見や差別に満ちています。一歩ずつ、着実に現状の変革を実現していきたいものです。

(まほろばサークル協力者 松田直 元群馬大学教授・高崎健康福祉大学教授)

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