運営者

重度・重複障害児教育アドバイザー

上村 勇一郎 / かみむら ゆういちろう

上村勇一郎さん

【プロフィール】
●1954年生まれ 奈良教育大学 小学校課程心理学専攻。
●奈良県の病弱養護学校、肢体不自由養護学校、知的障害養護学校、奈良県立教育研究所に勤務。
●平成2年、神奈川県の国立特殊教育総合研究所(現、独立行政法人国立特別支援教育総合研究所)にて、主に重度・重複障害教育について療育施設訪問、教育相談、事例研究などの研修を積む。
●その後、数校の教頭を経て、最終は盲学校・ろう学校の校長で退職。

【ひとこと】
幸運にも、教頭・校長時代も含めてすべての障害校種を経験したことが私の貴重な財産となっています。
多くの子どもたちに出会えたことにも感謝しております。

メンバー

奈良県内の特別支援学校(養護学校)に勤務する教員

【プロフィール】
●訪問教育経験者で重度・重複障害児とのかかわりが長い教員で、肢体不自由養護学校だけでなく知的障害養護学校も経験しているベテラン教職員です。

協力者

松田 直 / まつだ ただし(元群馬大学教授・高崎健康福祉大学教授)

松田直先生

【プロフィール】
●1975年から1995年3月まで神奈川県横須賀市の国立特殊教育総合研究所(現:独立行政法人国立特別支援教育総合研究所)の重複障害教育研究部に勤務。研究所では、障がいの重い子どもの教育相談や実践研究、現職教員研修などに携わる。
●1995年4月からは群馬大学教育学部の障害児教育講座に移り、教員養成と実践研究に携わる。
●2011年4月からは高崎健康福祉大学に移り、人間発達学部子ども教育学科の立ち上げにかかわり、保育士養成・教員養成・実践研究に従事。2015年に発足した「キッズサポートひまわり」(障がいのある幼児・児童・生徒に対して、遊びを中心にした活動を定期的に行う学生サークル)にて、保護者の相談を担当。
●その他、特別支援学校の研修会や肢体不自由児通園施設の研修会などにもかかわる。
●2019年3月に高崎健康福祉大学を退職し、4月に神奈川県三浦市に戻る。同年7月から、横須賀市にある社会福祉法人みなと舎にボランティアとしてかかわる。2020年9月から、みなと舎「ゆう」で「かかわり相談」を開始。

【推薦の言葉】
医療の技術革新により、以前は考えられなかったような重い障がいのある子どもも、特別支援学校に通学して教育を受けることができるようになってきました。医療的ケアについては、看護師の配置等、体制が整備されてきました。

これは、大きな変化だと思いますが、一人一人の子どもに対する学校生活や教育の内容や方法という点では、課題がたくさんあるように感じています。
先生方は子どもを少しでも伸ばすために、一生懸命にかかわっておられますが、子どもの側に立って授業を垣間見ておりますと、「子どもにはよく分からない場面」や「子どもの意思の表出が見逃されている場面」が少なくないように思います。

上村先生は、かつて私が勤務していた国立特殊教育総合研究所(現在の独立行政法人 国立特別支援教育総合研究所)に1990年(平成2年)4月からの1年間、長期研修生として実践的な研修に取り組まれました。

毎週、肢体不自由児通園施設T園に一緒に出掛け、障がいの重い子どもにかかわっていましたが、今でも鮮明に覚えていることがあります。
それは、上村先生がT園に到着してすぐに医師に頼んで、鼻から胃までのチューブを入れてもらい、経管栄養を自ら体験されたことです。

昼食を近くのファミリーレストランで食べた時も、上村先生はチューブを入れた状態で口から食べておられました。4時間くらいはチューブを入れておられたと思います。
また、上村先生はT園で対象児にかかわるだけでなく、家庭や学校を定期的に訪問され、障がいの重い子どもの1日24時間の生活を考えることを当然のこととして実践しておられました。

このエピソードは、上村先生が常に「障がいの重い子どもにとってどういうことなのか」という視点から教育や生活を考えようとしておられることを象徴的に示しています。
また、視覚・聴覚・知的・肢体・病弱という5つの領域の学校教育について、担任および管理職としてかかわってこられたことも、上村先生の守備範囲の広さを示しています。

このホームページでの情報交換を通して、障がいの重い子どもの学校や家庭・施設で、小さいことであれ、かかわりが具体的に改善されていくことを心から期待しております。

川住 隆一 / かわすみ りゅういち(元 東北大学大学院教授・東北福祉大学教授)

川住隆一先生

【プロフィール】
学歴
昭和53年4月 東北大学大学院教育学研究科博士課程後期単位取得後退学
平成10年2月 東北大学より博士(教育学)の学位取得(「生命活動の脆弱な重度・重複障害児への教育的対応に関する実践的研究」)

職歴
昭和53年5月 国立特殊教育総合研究所重複障害教育研究部研究員(平成2年10月迄)
平成2年11月 国立特殊教育総合研究所重複障害教育研究部主任研究官(平成6年11月迄)
平成4年3月 文部省在外研究員(平成4年8月迄)
平成6年12月 国立特殊教育総合研究所重複障害教育研究部第三研究室長(平成14年3月迄)
平成14年4月 東北大学大学院教育学研究科教授
平成28年4月 東北福祉大学教育学部教授
令和2年3月 東北福祉大学退職
令和2年5月1日 逝去

社会的活動
平成12年12月 日本特殊教育学会常任理事(平成12年12月~平成18年11月、平成21年12月~現在に至る)
平成12年12月 日本特殊教育学会常任編集委員(平成12年12月~平成21年11月)・編集委員長(平成21年12月~平成24年12月)・統括編集委員長 (平成25年1月~現在に至る)
平成15年6月 宮城県教育委員会心身障害児就学指導審議会委員(現在に至る)
平成16年3月 宮城県教育委員会養護学校(特別支援学校)医療的ケア運営会議委員(平成21年3月迄)
平成18年6月 宮城県保健福祉部障害者施策推進協議会副会長

上司 永照 / かみつかさ えいしょう(東大寺 持宝院住職)

上司永照さん

【プロフィール】
昭和37年 奈良市生まれ
昭和49年 東大寺に入寺(にゅうじ)
昭和51年 得度(とくど)
昭和60年 龍谷大学文学部仏教学科卒業
昭和62年 四度(しど)加行(けぎょう)満行(まんぎょう)
昭和63年 修二会(しゅにえ)(お水取り)に初参籠(はつさんろう)令和5年現在30回参籠
昭和63年 竪(りゅう)義(ぎ)を修了。住職資格を得る。
平成 2年 東大寺塔頭惣持院住職拝命
平成12年 東大寺塔頭持宝院住職拝命

東大寺山内での役職履歴
上院副主任
東大寺図書館副館長
東大寺福祉事業団常任理事
東大寺学園常任理事
東大寺学園幼稚園長
東大寺庶務執事
東大寺勧学院長
東大寺教学執事
東大寺総合文化センター総長

現在
華厳宗宗務長 東大寺執事長

寺外での主な役職及履歴
奈良市民生児童委員
奈良少年院篤志面接委員
社会福祉法人宝山寺福祉事業団評議委員
更生保護法人至徳会評議委員
奈良県立ろう学校評議委員
社会福祉法人青葉仁会評議員
NPO法人きららの木理事
(元)国立行政法人奈良教育大学附属小学校評議委員
(元)奈良県私立幼稚園連合会副会長
(前)神仏霊場会事務局長 など

東大寺は、昭和30年7月に肢体不自由児施設「東大寺整肢園」を開設しました。その後、重症心身障害児(者)通所施設「華の明」を開設し、平成20年には、入所児の重症化に対応するため、重症心身障害児施設「東大寺光明園」を開設し、東大寺福祉療育病院と名称を変えました。

また、平成21年9月、東大寺境内に「奈良親子レスパイトハウス」を設立し、主に、在宅医療を受けておられる難病や重度の障害の子どもとその家族に東大寺内の施設を利用して、賛同者と共に休息(レスパイト)を提供しています。

その中で上司永照さんは、「奈良親子レスパイトハウス」の理事として活動されています。さらに、東大寺福祉事業団や東大寺福祉療育病院の常任理事、また、東大寺幼稚園の園長も歴任されました。必要があれば、お寺や福祉の立場から様々なアドバイスがいただけます。

富岡 由之 / とみおか よしゆき(独立行政法人国立病院機構元療育指導室長)

【プロフィール】
●1945年生まれ
●昭和40年代の国立秩父学園(厚生省児童家庭局・障害福祉課所管:国立精神薄弱児施設)附属職員養成所(児童指導員科)で学び、卒業後「国立療養所・南京都病院(重症心身障害)」に奉職(国立秩父学園は現在、国立障害者リハビリテーションセンター自立支援局の一部門〈福祉型障害児入所施設〉として運営)。
●国立療養所勤務後、国立療養所・西奈良病院(重症心身障害、筋ジストロフィー、小児慢性疾患)」へ異動。
●その後、「国立療養所宇多野病院(筋ジストロフィー)」、「国立療養所青野原病院(重症心身障害)」、「国立療養所刀根山病院(筋ジストロフィー)」、「国立療養所宇多野病院(筋ジストロフィー)」、「独立行政法人国立病院機構・西奈良病院(重症心身障害、筋ジストロフィー)」へ異動。
●平成16年12月、「国立病院機構・西奈良病院」と「国立病院機構・奈良病院」の統合により設立された「国立病院機構・奈良医療センター」の療育指導室長。平成18年3月定年退職。
●国立療養所時代には、児童指導員協議会会長、「近畿地方医務局(厚生省)」の療育担当官、省庁再編後の「近畿厚生局(厚生労働省)」の療育担当官を併任。
●平成16年4月、国立病院・療養所の独立行政法人化への移行後には、「独立行政法人国立病院機構本部・近畿ブロック事務所」の療育専門職を併任。
●そのほか、長年にわたり重症心身障害児(者)並びに筋ジストロフィー児(者)への「学習会」・「勉強会」に努める。
●定年後の平成20年4月、東大寺福祉事業団にご縁をいただいたので、全国の社会福祉法人が運営されている重症児(者)施設(事業所)についても、色々、学ぶことができた。

【推薦の言葉】
昭和天皇お生まれの4月29日は、「昭和の日」として国民の祝日になっています。
この昭和54年に、予告政令339に基づく「養護学校の義務制」がスタートしました。

当時、私は京都府下の国立療養所に勤務していて、児童福祉法に基づき整備・設置(10ヶ年計画)されました重症心身障害児病棟に「(委託)入院中」の、障害児・者やご家族の方々への「福祉」に従事していました。この「養護学校義務制」の施行で、これまで「就学」を猶予されていました子ども達にも学校教育が始められることになりました(「就学免除」の方への対応も行われるようになりました。)。

そうした頃の様々な出来事を鮮明に覚えていますが、当時の制度等の推移や、関連しました動向等の理解は、今でも、とても大切なことであると考えています。

その昭和58年に、国立療養所に勤務します福祉職の所属組織として、新たに指導室(現在は、療育指導室)が設置され、それに伴い奈良の国立療養所へ異動し、異動先の西奈良病院で「訪問教育」の主任をされていました上村先生と初めてお会いしました。

今、当時の互いの職場での出来事等を思い出しながら話したりしますと、「・・・え、そんなことだったのですか」・・・、ということも少なくありません。
上村先生とご一緒させていただきましたのは、先生が異動されます僅か三年間だけでしたが、以来、先生との賀状の交換は30年を超えています。

「連携」というコトバが同一の職場内でも、また、「機関」対「機関」との関係性においても用いられていますが、この大切さの意味が「真に理解」しあえる数少ない先生であったことを、つい昨日のことのように思い出すことができます。

互いに「スジを通す」ことのできる「連携」の大切さは、組織論を含む様々な理解を基本に置くことが不可欠ですが、その頃も今もですが・・・、とても難しい現実が山ほどの世界であるように思っています。

今年の賀状で、上村先生が新たな活動をされることを知ることとなりお電話をさせていただきました。
そして、これまでの経験が・・・少しでもお役に立てるのであればと考え、上村先生のこの活動に参加をさせていただくことになりました。

杜甫に由来します「人生の節目」を迎えました者の一人として、私自身の新たな一歩にもなるような思いがあり、上村先生に感謝しています。

医師

どの子どもたちも必ず「主治医」がいますので、当然具体的な相談は主治医にしていただくため質疑応答ではお答えできませんが、一般的な医療内容やケアで疑問に思ったことについて、必要に応じて尋ねたり情報を求めたりすることができます。