病院施設内訪問教育の思い出

病院施設内訪問教育の思い出

私は20歳代後半で、病院施設内訪問教育を経験しました。
これからお話するのは、30数年前の当時の病院施設内訪問教育の回想です。

重度重複障害児(重症心身障害児)に対して訪問教育が開始されたのは、昭和54年の養護学校義務制からでした。
当時の対象児は、小学部・中学部の年齢に当たる子どもたちでした。
病院に設置された重症心身障害児施設に入所している子どもたちを対象とする訪問教育と、様々な理由で通学が困難なために在宅となっている重度重複障害児に対する訪問教育の2つの形態が主でした。

私は、その内の病院施設内訪問教育を担当しました。
当時の病院施設内訪問教育担当者は退職した校長先生方が多く、話を聞いていると、教育に対して立派な考えをもっておられる先生方がほとんどでした。
小学校の校長で退職された先生方が多かったのですが、障害児教育の経験は浅く、まして重症心身障害児との対応は初めての方ばかりでしたが、対応は大変ていねいで、まるで我が子や孫と接しているようでした。

その先生方が養護学校義務制以降の数年でやめられた後、私は希望して訪問教育を担当することになりました。
私は、新任の時に喘息・腎炎・肝炎・結核などの慢性疾患児を担当し、その後筋ジストロフィー症児を担当しました。
様々な障害や病気のある子どもたちと接したい気持ちが強かったので、重症心身障害児の子どもたちと接することができるようになって大変うれしく思いました。
慢性疾患児では「学年相応の教科教育」、筋ジストロフィー症児では「肢体不自由教育」や「知的障害児の教科教育」、そして重度重複障害児では「すべての教科に変えて養護・訓練を中心とした教育」と、指導内容や指導方法がかなり違う教育を経験できました。

どのような教育内容が子どもたちの実態に合っているか、教育実践を通してよりよい方向性を考えるのを楽しみにしていましたが、現実はそれ以前の大きな課題が待ち受けていました。
それは病院内の病棟職員の方々との接し方でした。

私が訪問教育を担当するようになった4月から、病棟に隣接して教育実践をするためのプレハブ仕様の教室ができました。
ところがその教室に学齢児を連れて行くことに対して、病棟職員の方々はあまりよい顔をしませんでした。
特に一部の看護師さんや看護助手さんは、「なぜ一人しか教室に連れて行かないの?みんな連れて行ってくれればいいのに・・・。」と不満を漏らされました。
昼食指導では「先生方はいいね。一人しか昼食を食べさせないでいいのだから。私らは何人も、しかも時間内にどんどん食べさせないと全員終わらないんだから。」と愚痴を漏らされました。
もちろん訪問教育に理解を示してくれる病棟職員の方もおられましたが、それは一部の方でした。
特に私は、訪問教育担当教員の主任(窓口)をしていましたので、「午前中病棟で入浴があるときは、教室に子どもを連れて行かないで、これまでどおり入浴介助に入ってください。」「病棟内のプレイルームに多くの子どもたちがいるので、これまでどおり病棟内のプレイルームで勉強する時間を設けてください。」「これまでの退職校長さんの方が、学齢に関係なく集団でみんなをまとめて面倒見てくれていてよかったのに・・・。」などと、何度も直接愚痴を言われました。

今お話ししたのは、病院内訪問教育創設期の現状でした。
当時は、「子ども一人あたり週2回、1回あたり2時間程度」という県の方針に従って、担当を決め教育を実施しようとしたのですが、教育内容を充実する以前に、教室ができて病棟職員の方々との新たな連携をどうするのか、ということが大きな課題になりました。

結果は、病棟側のこれまでの意向をある程度酌み取りながら、新たにできた教室内で授業をしていくことになりました。
私が主任として担当した数年間では、病院内訪問教育の在り方を十分理解してもらったとは言えませんでした。
やはり病棟関係者のみなさんにとっては、「部外者」が自分たちの仕事場である病棟に入り込んでくるのに、教室ができたために、これまでと違った非協力的な対応になったと感じ取られたのでしょう。

このように当時は、雇用立場や業務内容などが違う者が同じ現場で仕事を進めていくことの難しさを痛感する時期でした。
今は、お互いの立場の違いを理解し、尊重しながら協力体制を築きあげたうえで、さらに教員の視点でみると、教育内容の充実に努めていると信じています。

さて、教育の内容についてですが、教室ができてからは、集団で多くの子どもたちを一堂に見る形態から、子どもとほぼ一対一の授業ができる場面が多くなりました。
つまり、子ども一人一人の細かな実態把握やそれに基ずく目標設定がしやすくなったのです。
授業も子どものペースに合わすことができ、子どもからの反応やそれに対するやりとりも、ゆっくり時間をかけてみることが可能となりました。
私にとっては、養護・訓練(今は自立活動)を主とした指導の基本である「実態把握→個人目標の設定→教材の選定→授業実践→評価」のスタートだったとふり返っています。

最後になってしまいましたが、30数年前の当時、私たち施設内訪問教育の立場に共感していただいた一部の病院・病棟関係者のみなさんには、深く厚く感謝申しあげたいと思います。

(まほろばサークル 上村 勇一郎)

[参考] 訪問教育は、昭和43年から44年にかけて、いくつかの県・市において就学猶予・免除者に対する「訪問指導」として開始されました。
昭和53年には文部省から「訪問教育の概要(試案)」が発表され、訪問教育の趣旨、法的根拠、対象、教育課程等が示されました。
その後、昭和54年4月からの養護学校教育義務制の実施と同時に、各都道府県において、対象となる児童生徒の障害の状態とそれぞれのおかれている教育環境を考慮しながら、小学部・中学部の児童生徒で通学が困難な者等について、訪問教育が実施されるようになりました。
つまり、これまで学校教育の対象とされなかった重度重複障害児(重症心身障害児)に教育の機会を与え、すべての学齢児に対して義務教育を行うようになったのです。

高等部における訪問教育については、文部省から平成9年度より「現行制度の枠内での試行的実施を行うことができる」との通知が出され、32都道府県で試行的に実施され、平成10年度からは残る15県も含め全都道府県で実施されました。